大切な出会いから生まれた“結旅”
人と人の絆を大切にする“結旅”をコンセプトにした鬼怒川温泉ホテル。その歴史はヘボン博士との出会いからスタートし、いろいろな人との“結”により発展してきました。
金谷ホテルの起源 “カッテージ・イン”
世界遺産に登録されている神社・日光東照宮の楽人(がくにん)(日本の伝統的な芸術のひとつである雅楽(ががく)の演奏者)だった金谷善一郎(かなやぜんいちろう)と、一人の外国人とのふれあいがホテル開業のきっかけとなりました。
善一郎は、1871(明治4)年日光見物に来て宿がとれず、途方に暮れていたある外国人に自宅を提供し宿泊させました。開国後間もない時期で、外国人の滞在に非難の目もあるなか、善一郎は困っている人を見過ごせなかったのです。
この外国人が「ヘボン式ローマ字」の発案者として有名なヘボン博士でした。善一郎の好意に感激した博士は、その後、再び金谷家を訪れ「国際的観光地として日光が発展するためには、外国人観光客を対象とした宿泊施設が必要である。」と助言をしました。
こうしたアドバイスを受けて、金谷家は自宅の一部を外国人に提供し、1873(明治6)年「カッテージ・イン」と名付け、民宿を始めたのです。これが「金谷ホテル」の創業であり、日本におけるホテルの起源のひとつとなりました。
善一郎の子による日本有数のホテル経営
金谷善一郎は3人の子に恵まれました。のちに、この3人が日本有数のホテル経営に携わる事になります。
長男・金谷眞一(かなやしんいち)
1927年に日光金谷ホテルを善一郎から継ぎ社長となります。日本最古といわれるホテルの経営を担いました。
次男・金谷正造(かなやしょうぞう)
箱根の富士屋ホテルに婿入りし1943年に社長就任。経営者として敏腕を振るいます。
長女・金谷多満(かなやたま)と夫・正生(まさお)
鬼怒川温泉ホテルの初代館主に就任し、鬼怒川温泉ホテルの運営を任される事となりました。
1910年8月22日 長男・鮮治が誕生します。
開拓精神、飛躍の礎・発電所建設
1908年日光金谷ホテルに電灯がともるー
日光では保養に訪れる外国人客の増加に伴い、ホテル開業が相次ぎ競争が激化していました。東京で英語を学んだ眞一は、18歳で帰郷しホテルマンの道を歩み始めました。ホテルの競争力を高めるために電力の確保が欠かせないと考えた眞一は、ドイツの業者と交渉し発電機を購入すると、自ら工事を監督し自家用水力発電所を設置したのです。
自動車会社の設立
発電所の次に着目したのは自動車でした。1914年にフォード車の中古車を購入。送迎や観光でお客様から好評を得た眞一は単身渡米し、デトロイトの自動車工場でヘンリー・フォード氏に面会します。「自動車営業を拡大したいが資金が不足している」と眞一の率直な申し出に、フォード氏は「便宜を図る」と返答したといいます。眞一の語学力、そして物おじしない自信と教養がフォード氏の心を動かしたのかもしれません。
こうして14台の自動車を購入した眞一は自動車会社を設立。日光の交通を大きく変えることになります。
鬼怒川温泉ホテル誕生へ
「金谷さん、鬼怒川温泉にホテルを一つ作ってあげるよ」
言葉の主は、当時の東武鉄道の社長・根津嘉一郎(ねづかいちろう)氏
東武鉄道は今市から鬼怒川温泉までの鉄道延伸を決定。それに伴い、鬼怒川温泉の駅前に延べ23,000坪、1,000人が収容できる、壮大な規模の旅館建設が計画されました。
このことに5軒ほどの地元旅館から「お客様を取られてしまう!」と大反対を受けます。
しかし、根津氏には、電車の交通整備により、鬼怒川温泉が一大温泉地になるとの確信がありました。反対する人達に「旅館が衰微したら全額補償する」と明言し、鬼怒川温泉ホテルを完成させました。
根津氏はこの鬼怒川温泉ホテルの営業権を、眞一に譲渡します。
東武鉄道が今市から日光へ延伸した際、地元の反感が強い中、市内電車やバス会社の譲渡で奔走した協力者が眞一でした。鬼怒川温泉ホテルの開業は、根津嘉一郎氏と金谷眞一の深い付き合いから実現したのです。
羨望のホテル 鬼怒川温泉ホテル
1931年(昭和6年)、待望の鬼怒川温泉ホテルがオープン。
当時の宿泊料金は、1人5~8円と鬼怒川温泉内では最も高く設定され、旧皇族や華族たちに利用されました。鬼怒川沿いの場所にあり、ホテルからの眺めは絶景。内装は豪華、そして瀟酒(しょうしゃ)という言葉がふさわしい趣…芳醇な和洋酒を取り揃えたバー&グリル…、豊富な種類の浴場…、ダンスホール、ビリヤード場など多彩な娯楽施設…。和洋の粋を集めた羨望のホテルとして、近代日本旅館の原形となるすべてが、ここに創られました。
新たなる旅立ち
金谷多満と正生の長男・鮮治は、1953(昭和28)年に日光金谷ホテル株式会社から分離して、鬼怒川温泉ホテル株式会社を設立。初代社長に就任しました。1969(昭和44)年には金谷ホテル観光株式会社と社名変更し、積極的に増改築に取り組み、日本国内でも有数の規模と施設を誇る旅館へと発展しています。

金谷鮮治(かなやせんじ)(ジョン・カナヤ)

長女・金谷多満と夫・正生の長男として1910年8月22日誕生します。鬼怒川温泉ホテルを独立させ、10年先を見たと言われる先眼で新しいサービスを取り入れて金谷ホテル観光株式会社を発展させていきました。

ホテルを守る富貴観音(ふうきかんのん)様
鬼怒川温泉ホテルは長い歴史の中で、災難にも見舞われました。1938(昭和13)年、1957(昭和32)年と2度の火事が起きてしまいます。
そんな2度目の火事の際、鮮治はまだ火が回っていないホテル奥より女性の声を聞きます。鮮治は急ぎ助けに向かったところ、女性の姿はなく、そこには富貴観音像(日本で広く信仰されている仏像)が佇んでいたそうです。普通なら死者が出てもおかしくない大火災で、1人のけが人すら出さなかった事は、まさに奇跡と言えます。これは富貴観音様のおかげと、観音像を奉るとその後火事が起きる事はなく、鬼怒川温泉ホテルは発展していくことになります。
この富貴観音像、鬼怒川温泉ホテルの玄関前に鎮座し、今も静かにホテルを見守ってくれております。
上質の結晶 鬼怒川金谷ホテル
1978(昭和53)年には、同じ鬼怒川温泉に鬼怒川金谷ホテルを開業。新しい市場を狙い、移転した鬼怒川温泉駅前の一等地に高級旅館として誕生させました。これまでの長い歴史に培われたサービスを結晶させ、設備からサービスに至るまで、あらゆる面での“上質”を提供しました。
2012(平成24)年「ジョンカナヤが愛した渓谷の別荘」をコンセプトにリニューアルオープン。鮮治のもてなしの心”と“美学に溢れたダンディズム”の世界観をとり入れ、“高級とはなにか”を追求しています。
進化する鬼怒川温泉ホテル
2006(平成18)年「湯を楽しむリラクゼーションホテル」をテーマに、大浴場を大きくリニューアル。そして、2010(平成22)年「結旅(ゆいたび)」をテーマに、フロントロビー、ダイニング、全客室をリニューアルし、モダンで心温まる温泉情緒の宿として皆様をお迎えしています。
年表
  • 【1873年】 金谷ホテルの起源“金谷カッテージ・イン”をオープン
  • 【1878年】 金谷カッテージ・インにイザベラ・バード女史が宿泊、著書「日本奥地紀行」に記録を残す
  • 【1879年】 金谷善一郎に長男眞一が誕生
  • 【1882年】 金谷善一郎に次男正造が誕生
  • 【1888年】 金谷善一郎に長女多満が誕生
  • 【1893年】 栃木県日光市に本館2階建て30室の日光金谷ホテルを開業
  • 【1905年】 日光金谷ホテルに建築家フランク・ロイド・ライト氏が滞在
  • 【1908年】 発電所建設、日光電気軌道株式会社を設立
  • 【1909年】 日光ホテル協会を28施設により結成
  • 【1910年】 8月22日 金谷多満に長男鮮治が誕生
  • 【1914年】 金谷眞一が自動車会社設立
  • 【1922年】 日光金谷ホテルにアインシュタイン博士が滞在
  • 【1928年】 金谷ホテル株式会社を設立、金谷眞一が社長に就任
  • 【1931年】 栃木県塩谷郡藤原町(現:栃木県日光市鬼怒川温泉滝)に鬼怒川温泉ホテルをオープン、金谷多満の夫である正生が初代館主に就任
  • 【1937年】 日光金谷ホテルにヘレン・ケラー女史が滞在
  • 【1938年】 鬼怒川温泉ホテル1度目の火災、2年後自費で再建
  • 【1942年】 金谷鮮治の長男に輝雄が誕生
  • 【1953年】 日光金谷ホテルより独立、鬼怒川温泉ホテル株式会社を設立し金谷鮮治が社長に就任
  • 【1957年】 鬼怒川温泉ホテル2度目の火災、翌年には再建
  • 【1969年】 鬼怒川温泉ホテル株式会社から金谷ホテル観光株式会社に社名変更
  • 【1971年】 東京都港区六本木に10階建て本社ビル「金谷マンション」が竣工
    本社ビル内に、西洋レストラン「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」がオープン。初代シェフに坂井宏行氏が就任
  • 【1973年】 金谷輝雄の長男に譲児が誕生
  • 【1976年】 金谷ホテル観光株式会社の本社ビル内に、英国酒場「ジョンカナヤ」オープン 金谷輝雄が金谷ホテル観光株式会社の社長に就任
  • 【1978年】 栃木県塩谷郡藤原町(現:栃木県日光市鬼怒川温泉大原)に鬼怒川金谷ホテル開業
  • 【2002年】「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」が多くのセレブリティに惜しまれつつ閉店
  • 【2005年】 鬼怒川金谷ホテルが「日本旅館のファーストクラス」をコンセプトにリニューアル、クラブフロアを新設
  • 【2010年】 鬼怒川温泉ホテルが「結旅(ゆいたび)」をコンセプトに館内・全客室リニューアル
  • 【2011年】 金谷譲児が金谷ホテル観光株式会社の社長に就任
  • 【2012年】 鬼怒川金谷ホテルが「ジョンカナヤが愛した渓谷の別荘」をテーマにリニューアル・オープン。「ショコラトリーJOHN KANAYA」がブランドデビュー、鬼怒川金谷ホテル館内1階に1号店をオープン
  • 【2013年】 東京都渋谷区に「ショコラトリーJOHN KANAYA」恵比寿本店をオープン
  • 【2014年】 鬼怒川温泉ホテルにコンセプトルーム「和洋室」がオープン。ワンランク上の上質なくつろぎがテーマ
  • 【2014年6月】 金谷ホテル観光グループの事業拡張を牽引していく組織、株式会社KANAYA RESORTSを設立
  • 【2015年】 鬼怒川温泉ホテルにコンセプトルーム「キディルーム」がオープン
  • 【2016年】 鬼怒川温泉ホテルに新たな食事処「個室ダイニング結坐(ゆいざ)」がオープン
    鬼怒川金谷ホテルにコンセプトルーム「ジョンカナヤ・スイート」が誕生
  • 【2016年8月】 栃木県日光市・鬼怒川温泉駅前のコンビニエンスストア・Rマートが金谷ホテル観光グループとなる
  • 【2017年10月】 神奈川県足柄下郡箱根町に新たなラグジュアリーホテル「KANAYA RESORT HAKONE」がオープン。コンセプトは「ジョン・カナヤが愛した森の別邸。」
  • 【2017年12月】 栃木県那須郡那須町に新たなオールインクルーシブホテル「THE KEY HIGHLAND NASU」がオープン(テスト・オープン)
  • 【2018年2月】 鬼怒川温泉ホテルが石窯ダイニング楽炎(らくえん)のオープンキッチンを拡大しリニューアルオープン
  • 【2018年7月】 THE KEY HIGHLAND NASUが「森のアクティビティ・リゾート。」をコンセプトにリニューアルオープン
  • 【2019年11月】 東京都千代田区平河町に「モダンジャパニーズレストラン平河町かなや」がオープン
  • 【2021年3月】 鬼怒川温泉ホテルが創業90周年を迎える。90周年記念ラベルの国産ワイン「菱山」を製作、昭和初期のテレビCMや音楽をデータ化し記念Webサイトにて公開。
  • 【2022年3月】 鬼怒川温泉ホテルに「くつろぎ」の洋室が誕生。遊楽館8階の渓谷側7室。
  • 【2022年8月】 「金谷菓子本舗」が鬼怒川温泉駅前にオープン。焼き菓子ギフトとカフェスペースを併設したショップ。